GeChic On-Lap 1305H モバイル液晶モニター
GeChic On-Lap 1305H 13インチ フルHD モバイル液晶モニタ 縦置き可能 薄型軽量(本体重量685g, 最薄部7mm)
- 出版社/メーカー: GeChic Corporation
- 発売日: 2017/11/16
- メディア: Personal Computers
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デュアルディスプレイ用に買いました。文献をPDFファイルで開きながらまとめるときや、複数のデータを開くときなどにノートPCの画面だけだとやりづらいことが多いので。今のオフィスがあまり広くないので、軽くて片付けがしやすいのは魅力的です。
AmazonのレビューにHDMIケーブルがモニタ側に奥まで差し込みづらいというのがあり、最初のうちは自分も感じたのですが、使っているうちにスムーズに差し込めるようになったような気がします。
松井孝嘉(2018)『スマホ首病が日本を滅ぼす――首を治せば生まれ変われる』
スマホ首病が日本を滅ぼす - 首を治せば生まれ変われる - (ワニブックスPLUS新書)
- 作者: 松井孝嘉
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2018/03/08
- メディア: 新書
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原因不明の心身不調である不定愁訴の少なからずが、首のこりから来ており、「頚性神経症候群」という新しい病名を提唱している先生のようです。同様の書籍を何冊も出されているようですが、本書では特にスマホの普及によってこの症状が若い世代を中心に深刻化していることが主張されています。冒頭にある30項目の問診票では、自分も該当する項目が10近くあり、もっと首の状態に注意を払わないとまずいなと自覚しました。
ただし、本書の内容は結構あやしいところもあり、うつ病や自殺と結びつけている議論はやや安易すぎるように思いますし、また後半は著者自身の運営するクリニックの宣伝色がかなり濃くなっていて辟易しました。正直なところ、真ん中あたりの章を立ち読みすれば十分でしたが、本は表紙を見たときや手に取ったときに感じる勢いが大事だと思っているので(ときめき!)、こういう経験も致し方ありません。
想田和弘(2011)『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』
一時期、渋谷のミニシアターによく通っている時期があり、その頃に想田監督の『選挙』と『精神』を観ました(ライズX・シネマライズともに閉館したのですねえ)。その後の作品は観ていないのですが、先日読んだ吉見先生の本で紹介されていた『ザ・ビッグハウス』は観てみたいなと思いました。
本書では、『選挙』、『精神』と、その次の作品である『Peace』を題材に、想田監督の提唱する「観察映画」の手法について入門的に解説されています。
客観的な真実・現実の存在を否定し、また撮影前にあらかじめ台本をつくらずに、撮影者の参与観察によって発見に基づいて作られたドキュメンタリーというようにまとめられます。特に台本を作らないということに関しては、テレビの番組制作における「わかりやすさ至上主義」、「視聴者は理解できないという無信頼」が批判の的に挙げられています。
ただし、ドキュメンタリーのフィクション性を強調する森達也に代表されるような主張とは異なり、やはり実在する人物や組織であるからこそ観客が興味を持つという、現実と虚構の間の微妙なバランスの上に成り立つというのが想田監督の立場のようです。
2019年4月のランニング記録
走った日数は16日、総距離は115.61kmでした。
2週目が、花粉症で弱ったところに風邪にやられてしまったようで、まったく走れなかったのが残念な結果です。その他にも、遅く帰った日など、ちょくちょくサボってしまったのが反省点ですね。
4月は1回あたり7~8kmを目安に走っていたのですが、疲れが翌日に残ることも多くてちょっと負担が大きいかなと思ったので、5月に入ってからは5~6kmに減らしています。無理しすぎずに継続することが当初の目標だったので、令和になったことであらためて初心に立ち戻ってみます。
君塚直隆(2019)『ヨーロッパ近代史』
著者の先生はイギリスの政治外交史が専門ということですが、ルネサンスから第一次世界大戦までのヨーロッパの歴史を、「宗教と科学の相剋」、「神から人間へ」というキーワードで読み解くという、やや異色とも言える構成の本です。
こういう本が読みたかったというのが率直な感想で、非常に面白く読むことができました。大学受験で世界史を選択していないので、自分はヨーロッパ近代史に関して疎く社会科学の古典を読むときにもしばしば苦労するのですね。しかし、社会科学の理論や概念はある程度に知っているので、宗教の世俗化や、社会契約などの用語で各時代の特徴を解説してくれるのが、すらすらと頭に入りました。
各章は、その時代を象徴する人物の人生とともに主要なできごとを追うという形式になっています。
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1章:レオナルド・ダ・ヴィンチ(ルネサンス)
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3章:ガリレオ・ガリレイ(近代科学の発展)
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4章:ジョン・ロック(個人の権利・信仰の尊重)
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6章:ゲーテ(市民革命)
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7章:チャールズ・ダーウィン(進化論)
5章の「啓蒙主義の時代」は、タイトルを見た時にルソーが出てくるのかなと思ったら、ヴォルテールでした。
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ルネサンス前期(1401~1520年頃)はそれまで「暗黒時代」と形容されることが多かった中世ヨーロッパが近代へと飛躍する契機の一つだった
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中世ヨーロッパにおいては、人間はいやしい存在にすぎず、学問や芸術の対象にはなりえなかった
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芸術家の目的はあくまで神の栄光のためであり、自らの作品に署名することもなかった
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16世紀になると、職人(artisan)として扱われていた画家・彫刻家・建築家は芸術家(artist)として扱われるようになり、自らの個性を出していけるように変わった
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歳月が立つにつれ、「教会の外に救いなし」という観念が生まれた
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神と信者一人ひとりの直接的な関係を強調するルターの思想には、個人の人格や主体性というヨーロッパ近代の思想の特質のさきがけが見られる
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ウェストファリア講話条約は、近代的な「主権国家」の発展の素地になったとみなされることが多い
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1630~1700年は、ヨーロッパに絶対君主制が確立された時期
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経済的には「重商主義」の全盛期であり、国家全体の富を増やすために、高率の関税で自国産業を保護育成し、貿易差額で利益を得るために、特権商人による貿易独占が奨励された
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17世紀後半のオランダは海運業によって栄え、また宗教的に寛容な土地であった
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1701~1789年のヨーロッパでキーワードとなるのは、「王位継承戦争」と「勢力均衡」(balance of power)
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16世紀前半から戦争が続いたフランスでは、戦費調達が課題となり、17世紀には各種の官職を売却するという「売官制」が広く見られた
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ヴォルテールの父も、公証人としての実績を積み重ね、官職を手に入れたという、新興貴族階級の一人だった
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ヴォルテールが唱えたのは「理神論」(deism)であり、これは信仰と理性の調和を図り、創造主である神がこの世界を造った後には、世界は人間によって理解可能な理性に秩序によって支えられるという考え方である
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「あなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」とは、ヴォルテールが残した名言の中でもっとも有名なものであり、彼は知識人による世論の喚起・啓蒙活動の重要性を示した最初の人物とも言える
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科学の全般に興味を示したゲーテであるが、あまり数学には興味を持たず、経験主義的な科学をより好んだ
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ルイ14世の野望に始まり、ナポレオンの失脚で終焉を迎えた時代は、「長い18世紀」(1688~1815年)と形容されることが多い
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18世紀半ばのイギリスでは、17世紀に端を発する科学革命と合理主義が一つの頂点を迎えていた;これらの知性的基盤となったのが、地主階級や専門職階級、新たに出現した商工業階級によって支えられた様々な種類の「公共圏」(博物館、美術館、図書館、科学・芸術のクラブ組織)であった
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スペンサーの「適者生存」の概念は、ヨーロッパ列強によるアジア・アフリカの植民地化、すなわち「帝国主義」を正当化する理論に利用されるようになった
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ヴィクトリア時代のイギリスを代表する言葉は、「進化」(evolution)と「自助」(self help)であった
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ヴィクトリア時代の労働者は自らの仕事に誇りを持ち、「労働」を神聖視する傾向にあった
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レーニンは旧弊なロシアを忌み嫌い、ヨーロッパ的な新しいロシアに憧れた
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ヨーロッパに対する屈折した意識は、ドストエフスキーにも見られ、彼は「ヨーロッパではわれわれは居候であり奴隷でもあったが、アジアでは主人として通用する」という言葉を残している
UNESCOの「総就学率」と「純就学率」
論文を読んでいて、韓国の2010年の高等教育就学率が100%を超えていて、「?」となりました。なんとなく、兵役を終えて入学してくる人々の影響なのかなとは思ったのですが、定義と計算方法を確認してみました。
当該の数値は、UNESCOの「総就学率」(gross enrolment ratio)という指標に基づいており、またこれに関連した指標として、「純就学率」(net enrolment rate)というものもあるようです。
Gross enrolment ratio | UNESCO
総就学率
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年齢にかかわらず、ある教育段階における生徒数を、その教育段階に該当する公式の就学年齢人口で割ったもの。高等教育段階については、中等教育の卒業年齢から5歳以内の人口グループを用いる。
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総就学率の高さは、標準年齢に生徒が属するかどうかにかかわらず、就学度合いが高いことを意味する。
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総就学率は、公式の就学年齢から外れた生徒が含まれる場合や、同一学年の繰り返しによって、100%を超えることがある。この場合、総就学率の正確な解釈のためには、同一学年の繰り返しの度合いや、標準年齢を超えて入学する人々についての追加的な情報が必要である。
純就学率
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ある教育段階において、理論的に想定される年齢グループに属する生徒の合計を、その年齢グループに属する人口の合計によって割ったもの。
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純就学率の高さは、公式の就学年齢においてカバーされている度合いの高さを意味する。
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高等教育においては、学位プログラムの期間に大きなばらつきがあり、適切な年齢グループを決めることが難しいため、この指標は適切ではない。
韓国について詳しいわけではないのですが、100%を超えるのはそれにしても高いという印象を受けました(同時期の日本の高等教育就学率は58.1%)。大学院の扱いがどうなっているかなど、もう少し調べてみたほうがよいかもしれません。
岩波明(2017)『発達障害』
誤解の多い「発達障害」という概念に関して、豊富な事例とともに一般向けにわかりやすく紹介されています。
軽症の場合や合併症がある場合に診断が難しいため、幼少期からの生育歴などを含めて事例を詳しく記述する必要があるというのはわかったのですが、それもでやや冗長に感じられる部分がありました。特に、フィクションの登場人物や歴史上の偉人が発達障害かどうかという辺りには自分はあまり関心を持てず、むしろ後半で扱われている支援・治療プログラムがどのような理論に基づいているのかというようなことが、もっと知りたかったです。とはいえ、発達障害に関して素人が知っておくべきことはおおむねこの一冊で網羅されていると思いました。
2000年代以降に発達障害という用語は一般に広まるようになったということで、たしかに私の子ども時代には耳にしたことはなかったかもしれません。しかし、振り返ってみると本書で言われるASDに該当していそうな事例は身の回りにもあり、コミュニケーションが苦手で対人関係のトラブルをしばしば起こす一方で、学年の生徒全員の誕生日を暗記しているという、限定的な領域における興味と能力を発揮する同級生がいたことを思い出しました。
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スペクトラムとは「連続体」という意味であり、軽症から重症の人々まで広汎に分布していることを指す
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ASDの主要な症状は、「コミュニケーション、対人関係の持続的な欠陥」と「限定された反復的な行動、興味、活動」
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発達障害は生まれつきのものであり、成人になってから発症するものではない
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ASDの原因は明らかになっていないものの、家族内の発症率は高く、遺伝的な要因が大きいことは確実
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長い間、自閉症などの原因は、「親の養育の失敗」、「親の愛情不足」とみなされてきたものの、現在ではこれらの点は明確に否定されている
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アスペルガー症候群に対する誤解が広まっている;「対人関係、コミュニケーションの障害」だけでは、診断基準を満たしておらず、他に「同一性へのこだわり」の症状が伴う必要がある
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検察寄りの結論を出す傾向のある医師は、検察や裁判所から頻繁に依頼される現状があり、これに対して弁護側の依頼による精神鑑定の結果は被告人に有利な傾向がある
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犯罪率については不明な点があるものの、ASDにおいては、奇異な動機や犯行の方法が見られることがある;さらに社会性・コミュニケーションの障害によって、「反省の情がない」と捜査段階や法廷で否定的に評価されたり、裁判上の有利・不利を省みずに捜査側の誘導に沿った供述をしたりしやすい傾向も指摘されている
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こうしたプログラムは、「うまくこなす」ことが治療の目的ではなく、むしろプログラムを通じて他者と接し、様々な問題やトラブルに取り組むことが主な目標である