古川武士(2013)『「やめる」習慣』
自分の時間の使い方を振り返ると、やらなくてもよいことに非常に多くの時間を割いてきているわけですね。「あのことに費やした時間をすべて仕事に割り振っていたら、何本論文が書けていただろうか…」と考えることも頻繁にあります。
まあ、頭ではわかっていてもなかなか実行に移すのは難しいわけですね。自制心のなさ(よくないと知りつつ行為する)については、アリストテレスが2000年以上前に「アクラシア」という言葉で述べているほど根深い問題ですね。本書では、何かを決意した時とそれを破る時ではあたかもまったく違う人格になっているかのようなことを、「別人問題」という名前で紹介しており、なかなか卓抜な表現であるように思います。
最近は、いかにしてやらなくてもよいことを避けるか、特に気を散らすきっかけ(distraction)をいかに避けるかが、あらためて自分の中でホットな課題になっており、関連する内容を勉強しています。自分にとっては明らかなdistractionになりそうなので、もともとFacebookとTwitterのアカウントは持たないようにしてますが、それでもインターネットの時間の使い方に関しては反省すべき点があまりに多いですね。
本書は実践的な志向の強い本で、習慣化のためのスケジュールの立て方であったり、モニタリングの仕方であったりなどが指南されており、自分が何となく考えてきたことと整合する点も多かったです。ただ、結局のところは行動に移せるかという覚悟の問題だなと思いました。やらなくてもよいことを決めるというのは、ピーター・ドラッカーがマネジメントの世界で言ったところの「劣後順位」(posteriority)という考え方も関係してきそうですが、ドラッカーも劣後順位をつけるのは、分析よりも勇気の問題であると述べているようですね。
本書の読了後には、もっと学術的な内容が含まれている、Deep Workという本を読み始めています。
Lareau (2012) "Using the Terms Hypothesis and Variable for Qualitative Work: A Critical Reflection"
Lareau, Annette. 2012. "Using the Terms Hypothesis and Variable for Qualitative Work: A Critical Reflection." Journal of Marriage and Family 74(4): 671-77.
Goertz & Mahoneyと同様に、Lareauも定量的・定性的研究という「2つの文化」の存在を支持する立場であるようです。ただし、Goertz & Mahoneyはどちらの研究においても、すでに因果に関わる何らかの仮説があることを前提にしているように見えるのに対して、Lareauは研究のデザインやプロセスにおける2つの文化の違いを強調し、「仮説」、「変数」という用語を定性的研究で使うことに対して疑問を述べている点が特徴的です。
さらに、定性的研究の中でも参与観察なのか、インタビューのみでデータを集めるのか、インタビューではどの程度の人数を対象とするのかという区別を提示しており、勉強になりました。
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仮説とは、研究が始まる前に作られるものだと多くの研究者がみなしている;さらに理想的には、研究結果によって仮説を変えるべきではないと考えられている
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変数とは一般的に、明確に定義されかつ測定が容易であるような相互に排他的な値を持つものとみなされる
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つまるところ、定性的研究の目標の一つは出来事の意味やそれらの相互連関の性質を示すことである;出来事の頻度ではなく、人々ができごとをどのように解釈しているかを知りたいのである
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定量的研究者は、変数間の関連は実証的に示されない限りは独立したものとみなすものの、定性的研究者は社会生活の要素が相互に連関したものとみなす
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定性的研究では、「仮説」の提示よりも「リサーチ・クエスチョン」の洗練化、「変数」よりも「日常生活における社会的プロセス」を研究すべきである
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リサーチ・クエスチョンは特定の変数に限定されるものではなく、いくらかオープン・エンドなものであるべきである
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定量的研究と同様に、定性的研究においても反実仮想を考えたり、不利な証拠を探したりすることは役立つ;Unequal Childhoods(Lareau 2011)においては、もし階級というものが子育てにおいて重要でなければ、何が見出されるだろうかということをしばしば自らに問うた;言い方を変えれば、自らのデータを間違って解釈している可能性を考えたのである
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定性的研究者は、リサーチ・クエスチョンを研究のプロセスの中で発現させ、成長させ、発展させ、変化させるべきなのである
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定性的なデータ収集の方法として、参与観察によるものとインタビューのみによるものとの区別は重要である
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150人や200人を対象とした大規模のインタビュー調査を行う研究が増えているものの、こうした研究では筆頭研究者のデータ収集への関与が犠牲になってしまうことが多い
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大規模のインタビューではしばしば回答の意味よりも回答の頻度に焦点があてられており、このことは定性的研究の価値を損なうものである
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参与観察とインタビュー調査は非常に異なったアプローチである;インタビュー調査は人々の経験の意味を理解することに焦点をあてるものの、「エスノグラフィー的」と呼ぶのは誤りであり、参与観察における豊富で自然な観察を詳細に与えてくれるものではない
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インタビューはまた、対象者が研究者の望んでいることを答えてしまうという社会的な望ましさ(social desirability)の問題によって、不正確なデータになることへの脆弱性がある
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エスノグラフィーの目的は、日常生活に関する豊富できめの細かい分析を行い、理論の発展をもたらすことである;この目的のためには50以上のインタビューを行う必要はなく、そもそも50以上のインタビューの結果を提示するのは困難である
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デュアルディスプレイ用に買いました。文献をPDFファイルで開きながらまとめるときや、複数のデータを開くときなどにノートPCの画面だけだとやりづらいことが多いので。今のオフィスがあまり広くないので、軽くて片付けがしやすいのは魅力的です。
AmazonのレビューにHDMIケーブルがモニタ側に奥まで差し込みづらいというのがあり、最初のうちは自分も感じたのですが、使っているうちにスムーズに差し込めるようになったような気がします。
松井孝嘉(2018)『スマホ首病が日本を滅ぼす――首を治せば生まれ変われる』
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原因不明の心身不調である不定愁訴の少なからずが、首のこりから来ており、「頚性神経症候群」という新しい病名を提唱している先生のようです。同様の書籍を何冊も出されているようですが、本書では特にスマホの普及によってこの症状が若い世代を中心に深刻化していることが主張されています。冒頭にある30項目の問診票では、自分も該当する項目が10近くあり、もっと首の状態に注意を払わないとまずいなと自覚しました。
ただし、本書の内容は結構あやしいところもあり、うつ病や自殺と結びつけている議論はやや安易すぎるように思いますし、また後半は著者自身の運営するクリニックの宣伝色がかなり濃くなっていて辟易しました。正直なところ、真ん中あたりの章を立ち読みすれば十分でしたが、本は表紙を見たときや手に取ったときに感じる勢いが大事だと思っているので(ときめき!)、こういう経験も致し方ありません。
想田和弘(2011)『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』
一時期、渋谷のミニシアターによく通っている時期があり、その頃に想田監督の『選挙』と『精神』を観ました(ライズX・シネマライズともに閉館したのですねえ)。その後の作品は観ていないのですが、先日読んだ吉見先生の本で紹介されていた『ザ・ビッグハウス』は観てみたいなと思いました。
本書では、『選挙』、『精神』と、その次の作品である『Peace』を題材に、想田監督の提唱する「観察映画」の手法について入門的に解説されています。
客観的な真実・現実の存在を否定し、また撮影前にあらかじめ台本をつくらずに、撮影者の参与観察によって発見に基づいて作られたドキュメンタリーというようにまとめられます。特に台本を作らないということに関しては、テレビの番組制作における「わかりやすさ至上主義」、「視聴者は理解できないという無信頼」が批判の的に挙げられています。
ただし、ドキュメンタリーのフィクション性を強調する森達也に代表されるような主張とは異なり、やはり実在する人物や組織であるからこそ観客が興味を持つという、現実と虚構の間の微妙なバランスの上に成り立つというのが想田監督の立場のようです。
2019年4月のランニング記録
走った日数は16日、総距離は115.61kmでした。
2週目が、花粉症で弱ったところに風邪にやられてしまったようで、まったく走れなかったのが残念な結果です。その他にも、遅く帰った日など、ちょくちょくサボってしまったのが反省点ですね。
4月は1回あたり7~8kmを目安に走っていたのですが、疲れが翌日に残ることも多くてちょっと負担が大きいかなと思ったので、5月に入ってからは5~6kmに減らしています。無理しすぎずに継続することが当初の目標だったので、令和になったことであらためて初心に立ち戻ってみます。
君塚直隆(2019)『ヨーロッパ近代史』
著者の先生はイギリスの政治外交史が専門ということですが、ルネサンスから第一次世界大戦までのヨーロッパの歴史を、「宗教と科学の相剋」、「神から人間へ」というキーワードで読み解くという、やや異色とも言える構成の本です。
こういう本が読みたかったというのが率直な感想で、非常に面白く読むことができました。大学受験で世界史を選択していないので、自分はヨーロッパ近代史に関して疎く社会科学の古典を読むときにもしばしば苦労するのですね。しかし、社会科学の理論や概念はある程度に知っているので、宗教の世俗化や、社会契約などの用語で各時代の特徴を解説してくれるのが、すらすらと頭に入りました。
各章は、その時代を象徴する人物の人生とともに主要なできごとを追うという形式になっています。
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1章:レオナルド・ダ・ヴィンチ(ルネサンス)
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3章:ガリレオ・ガリレイ(近代科学の発展)
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4章:ジョン・ロック(個人の権利・信仰の尊重)
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6章:ゲーテ(市民革命)
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7章:チャールズ・ダーウィン(進化論)
5章の「啓蒙主義の時代」は、タイトルを見た時にルソーが出てくるのかなと思ったら、ヴォルテールでした。
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ルネサンス前期(1401~1520年頃)はそれまで「暗黒時代」と形容されることが多かった中世ヨーロッパが近代へと飛躍する契機の一つだった
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中世ヨーロッパにおいては、人間はいやしい存在にすぎず、学問や芸術の対象にはなりえなかった
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芸術家の目的はあくまで神の栄光のためであり、自らの作品に署名することもなかった
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16世紀になると、職人(artisan)として扱われていた画家・彫刻家・建築家は芸術家(artist)として扱われるようになり、自らの個性を出していけるように変わった
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歳月が立つにつれ、「教会の外に救いなし」という観念が生まれた
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神と信者一人ひとりの直接的な関係を強調するルターの思想には、個人の人格や主体性というヨーロッパ近代の思想の特質のさきがけが見られる
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ウェストファリア講話条約は、近代的な「主権国家」の発展の素地になったとみなされることが多い
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1630~1700年は、ヨーロッパに絶対君主制が確立された時期
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経済的には「重商主義」の全盛期であり、国家全体の富を増やすために、高率の関税で自国産業を保護育成し、貿易差額で利益を得るために、特権商人による貿易独占が奨励された
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17世紀後半のオランダは海運業によって栄え、また宗教的に寛容な土地であった
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1701~1789年のヨーロッパでキーワードとなるのは、「王位継承戦争」と「勢力均衡」(balance of power)
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16世紀前半から戦争が続いたフランスでは、戦費調達が課題となり、17世紀には各種の官職を売却するという「売官制」が広く見られた
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ヴォルテールの父も、公証人としての実績を積み重ね、官職を手に入れたという、新興貴族階級の一人だった
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ヴォルテールが唱えたのは「理神論」(deism)であり、これは信仰と理性の調和を図り、創造主である神がこの世界を造った後には、世界は人間によって理解可能な理性に秩序によって支えられるという考え方である
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「あなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」とは、ヴォルテールが残した名言の中でもっとも有名なものであり、彼は知識人による世論の喚起・啓蒙活動の重要性を示した最初の人物とも言える
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科学の全般に興味を示したゲーテであるが、あまり数学には興味を持たず、経験主義的な科学をより好んだ
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ルイ14世の野望に始まり、ナポレオンの失脚で終焉を迎えた時代は、「長い18世紀」(1688~1815年)と形容されることが多い
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18世紀半ばのイギリスでは、17世紀に端を発する科学革命と合理主義が一つの頂点を迎えていた;これらの知性的基盤となったのが、地主階級や専門職階級、新たに出現した商工業階級によって支えられた様々な種類の「公共圏」(博物館、美術館、図書館、科学・芸術のクラブ組織)であった
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スペンサーの「適者生存」の概念は、ヨーロッパ列強によるアジア・アフリカの植民地化、すなわち「帝国主義」を正当化する理論に利用されるようになった
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ヴィクトリア時代のイギリスを代表する言葉は、「進化」(evolution)と「自助」(self help)であった
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ヴィクトリア時代の労働者は自らの仕事に誇りを持ち、「労働」を神聖視する傾向にあった
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レーニンは旧弊なロシアを忌み嫌い、ヨーロッパ的な新しいロシアに憧れた
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ヨーロッパに対する屈折した意識は、ドストエフスキーにも見られ、彼は「ヨーロッパではわれわれは居候であり奴隷でもあったが、アジアでは主人として通用する」という言葉を残している