M.グラノヴェター『転職―ネットワークとキャリアの研究』

転職―ネットワークとキャリアの研究 (MINERVA社会学叢書)

転職―ネットワークとキャリアの研究 (MINERVA社会学叢書)

本書の中心的テーマは、仕事を見つける際に通常「運」と考えられるものを説明することである。即ち、適切な時、適切な所に、適切な知り合いがいることである。
(p.vii,「初版への序」)

70年代の米国において、高い水準の職業に就いている労働者がどのように転職をしているのかについて注目し、情報が人的つながりのネットワークを通じて流れる仕組みを研究したものである。

グラノヴェターが提唱する「弱い紐帯」の仮説によれば、人々は接触頻度が高い(=強い紐帯を持つ)人々よりも接触頻度の低い(=弱い紐帯を持つ)人々から、転職に際して有利な情報を得る。

これはなぜかというと、頻繁に会う人々とは共有する情報も似通ったものになりがちであるため、たまにしか会わない人々からの方が有益な情報を得やすいからであるとされる。すなわち弱い紐帯は、集団の間を「橋渡し(bridging)」する機能があるというわけである。

ただし、本書の刊行後に様々な検証がなされ、企業規模など他の変数を統制すると、紐帯の影響はなくなるということなどが言われている。日本においても同様の研究がなされ、日本ではむしろ接触頻度の高い人々、すなわち強い紐帯を持つ人々から情報を得やすいとか、紐帯による影響はないということが言われており、一貫した結果は出ていないということだ。

グラノヴェターと言えば弱い紐帯、という理解がされやすいように思うが、本書で同様に重視されているのは、情報がどれだけの人々の連鎖の中で伝わってゆくかということである。経済学でいうマルコフ過程などを引き合いに出しつつ、情報が複数の人々に連鎖していく状況が、どのようにモデル化されうるか試みられている。

また、グラノヴェターが広く影響を与えたのは、「埋め込み」アプローチと呼ばれるものについてである。その重要な主張は、従来経済学者のみが扱ってきた、市場や貨幣という概念について、社会学的な研究が必要なこと。経済行為において非経済的動機が重要なこと。そして、経済における長期にわたる個人的なネットワークが持つ重要性について注目すべきだということである。市場における経済行為は、社会関係から自律して、個人の合理的な行動によって成り立っているわけではなく、社会関係に埋め込まれている(embedded)というわけだ。

日本において、学校が生徒の就職斡旋を積極的に担っていたことは、まさにこの「埋め込み」の構造が見られると言える。それを明らかにしたのものの一つが、苅谷剛彦学校・職業・選抜の社会学』だ。

しかし、就職における制度的な面は現代ではどう考えればよいのだろう。グラノヴェターは、市場原理によるジョブ・マッチングと、人々の個人的なネットワークを通じたジョブ・マッチングのバランスが大事だと言っているみたいだけれども、例えば、

この「学校経由の就職」は、先進社会の中でも他に例を見ない、特異な<教育から仕事への移行>のあり方である。それが日本固有の経済発展の過程で一見効率的なものとして確立してしまったことは、実は同時に日本の教育のあり方、その教育を通り抜けて仕事の世界へと参入してゆく個々の若者のあり方、そして仕事の場としての企業社会のあり方に対して、潜在的に重大な「歪み」をもたらしていた。その「歪み」とは、他でもなく、学校教育の教育内容、個人の職業能力、仕事現場で必要とされる能力という三者の間の内容的な関連性が、客観的実態としても主観的認識としても空洞化していたということである。
(本田由紀『若者と仕事』pp.17-18)

という見方もある。
しかし、日本の長期雇用が変容し、転職者が増えてきた現在、グラノヴェターが描いた米国社会の様子に近づいてゆくということは、あり得ないことではないと思う。そうした時、市場に埋め込まれた社会関係が重要になってくるということはないだろうか。