マイケル・サンデル(2020=2021)『実力も運のうち――能力主義は正義か?』

 

  • 途中まで原書で読んで止まっていたのですが、残りを訳書で読み終わりました。
  • 原題は、The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good? なので、かなり思い切った訳ですね。訳題の方が、本の中身をよりストレートに表しているでしょうか。あと、サンデルは日本では正義の講義で広く知られるようになったので、「正義」を訳題に入れたいという方針があったのかもしれません。
  • 特に面白かったのは、5章のハイエクロールズの対比と、7章の分配的正義と貢献的正義の区別。ハイエクロールズは市場と再分配のあり方については真逆といってもよいほどの違いがあるものの、どちらも市場における経済的報酬が功績と一致するという考え方を否定することでは共通しているというのが印象に残りました。
  • 6章では「能力の専制」を緩和するために、選抜システムの改革案が示されています。有名大学の選抜において、レガシー枠を廃止し、一定の学力を備えていればあとはくじ引きで決める(多様性を考慮する際など、場合によって特定のグループに対するくじの数を増やす)というもの。能力を選抜の絶対的な基準ではなくあくまで1つの基準とすることによって、勝者のおごりを抑えることができる。そもそも入試の段階で将来の成功の厳密な予測などできるはずがないから実際的な見地からも望ましく、入試の負担を軽減することで教育上のリソースを確保することもできる。
  • この6章の選抜システムに関する提案を読んで、矢野先生が『試験の時代の終焉』(1991)で論じていたこととほとんど同じじゃん、と思いました。矢野先生は野球というかなり能力が明確だと考えられている分野でさえ、ドラフトによる選抜がその後の成功をうまく予測できているわけではないことを分析していますが、サンデルも本書でノーラン・ライアンがドラフト12巡目で指名されたことを引き合いに出しています。あらためて矢野先生の慧眼に感服しました。
  • 解説は本田先生が書かれていて、メリトクラシーに関しては適切に解説されていると思います。しかし、やはりサンデルはロールズの平等主義的リベラリズム批判にルーツを持っており、たとえば「負荷なき自我」の概念が、本書ではリベラル派が自ら構想する社会システムを維持するための連帯意識を調達できていないことへの批判などにもつながってくるはずです。このあたりの理解を促す上で、政治哲学の先生による解説もあってもよかったのではないかと感じました。
  • 英語で責任(responsibility)というと、その主体は個人であるのが明らかなので、「自己責任」という言葉はおかしい、という話も聞いたことがありますが、原書では"individual responsibility"という表現が使われ、訳書では「自己責任」となっていますね。使われている箇所の意味としても、日本語のいわゆる「自己責任」に近いように見えます。